書きたい事を書きたい時に

はてなダイアリーとはまた違うものをこちらに書きます。例えば、コラム的な内容や、機械の分解など、様々なジャンルに渡ります。1ヶ月に1記事ぐらいのペースで更新します。

無知のベール

高校2年の時の倫理の先生が言っていた、少し考えさせられるというか、興味深い思想を思い出したので、皆さんにご紹介しようと思います。

(以下、冒頭は問いかける形で始まりますが、その先生が言った言葉ではありません。

私、筆者からの問いかけです。)

 

 

突然ですが、あなたの立場は何ですか?大雑把な分類で構いません。

例えば、「学生」であるとか、「労働者」であるとか、「主婦」であるとか、「社長」であるとか、「首相」であるとか..........

ただ、その立場を、普段の生活ではあまり意識することはないかもしれません。

 

ではもし、その立場が失われたらどうですか?

失われるというよりも、“分からなければ”、といった方が良いかもしれません。

 

自分は何者であるかが分からない。相手も何者であるかが分からない。

どんな立場であるのかさえも。

 

このように、人間が、自分の地位・財産・所属集団などの個人情報、そしてアイデンティティの全てを剥ぎ取られている状態を、アメリカの哲学者ジョン・ロールズは「“無知のベール”がかけられている(状態)」と表現しました。

これは、平等の根本と言うことができるかもしれません。

 

 

この“無知のベール”について、1つ(極端ですが)例を挙げてみましょう。

(先程、所属集団も分からないと書きましたが、この例では分かりやすくするため、所属集団は分かっているものとします。)

例えば、ある会社の経営者が、社員を24時間続けて働かせたとします。

これは、その“経営者”という地位が明確だからこそ、“社員”という地位の者を荒く扱えるのです。

ここに無知のベールがかかるとどうでしょうか。

“経営者”だった者も、“社員”だった者も、自分の地位が何か分かりません。

ここに、大量の仕事が舞い込んできて、全て時間内にできなければ会社が倒産すると言われればどうでしょうか。

 

こんな状況でも、もし地位がはっきりしていれば、最悪な経営者であれば社員に全てをやらせるかもしれません。

ただ、自分の地位が分からない状況でそんなことができるでしょうか。

つまりは赤の他人に、「俺は何もしないからお前らで全部やれ」と言われても誰がするでしょうか。

「誰か分からないお前の命令になぜ従わないといけないのか」となるのが普通ですよね。

 

そして全て終わらせなければ倒産する。

全員で協力してやるしかありません。

 

 

この無知のベールがかけられた状態では、人々は究極の平等状態にあります。

自分が何者か分からないので、自分に都合の良い判断はできない、よって、議論などは全く公正に行われるのです。

もし自分が最も低い地位に居ても良いように、最低地位の人々が保護されるような政策等をするのです。

 

 

複雑化した現代では、このような究極の平等状態を創り出すことは非常に難しいと思います。

考え方によれば、家庭や学校の存在さえ危うくなりますからね。

 

ただ、こういった事を考えるだけでもとても有益だと思います。

自分は誰かを酷使していないか、権力を乱用していないか・・・

全ての人がこういった究極平等の考えを持たない限り、差別というものは無くならないのかもしれません。