朝日新聞の誤報問題から得られる私への戒め
皆さんもご存知の通り、朝日新聞はこのところ誤報の訂正を繰り返しています。
8月の始めには、32年前の慰安婦に関する吉田証言の記事を撤回したが謝罪が無いと非難を浴び、
9月11日には、福島原発事故の吉田調書に関する記事を撤回し、社長らが会見を開き慰安婦の問題と共に謝罪しました。
その後も、9月14日には、実際は任天堂にインタビューしていないにも関わらず、インタビューしたかのような記事を2年前に掲載したとして謝罪。
とても考えられないような出来事です。
しかし、私を始め情報を発信する人間にとって、“明日は我が身”の姿勢でこの問題に臨むことが大事ではないでしょうか。
(※朝日新聞を擁護するつもりは決してありません)
情報を発信する側にとって、誤報は致命的です。
そのため、入念にチェックする必要があります。
ですが、いくら気をつけていても間違いを犯してしまうことがあるかもしれません。
その時は、まず謝罪。
そして 誠心誠意 対応をする。
当たり前のことです。
私のこのブログも、コンセプトこそ「書きたい事を書きたい時に」ですが、時事問題についても多く書いています。
もしその情報が大きく間違っていたらどうでしょう?
そして、例えば外部からコメント等で指摘があったにも関わらず、それに関して検証せず、また放置していたら・・・
おそらく誰もこのブログを読まなくなりますよね。
場合によれば訴えられるかもしれません。
そんな事になれば人生が台無しになってしまう可能性もあります。
はてなダイアリーの方でも、これまでに何度か小さな間違いを犯し、記事で謝罪してきたので、危機感は一層募っています。
そのうち大変な間違いをしてしまうのではないかと。
新聞やテレビはしばしば誤報をして謝罪をしますが、会社に所属していると、こういう危機感が薄れてしまっているのかな・・・と思ったりもします。
誤報をしようと思ってする人は滅多にいません。
(稀にいますが、そんなに多くはいないと信じたい。そして意図的な誤報は“捏造”ということになります)
しかし、訴えられてからでは遅いですからね・・・
私も、これからは一層気をつけて記事を書いていこうと思います。
ただ、あまりにも考えすぎると何のユーモアも無い記事ばかりになってしまうので、その辺りのバランスを取ることは重要です。
もちろん、紛争や災害関連の記事にユーモアを入れることは論外ですが、明るい話題の記事には少しぐらい笑わせるような記述も入れたいですね。
自分で書いた記事にマズい所があっても、自分では分からないこともあります。
公に出る前に友人や知人にチェックを仰ぐのも1つの手立てかもしれません。
新聞社にはそのために校閲担当の人達がいるはずなのですが・・・
とは言っても、やはり校閲する人も人間。見逃しもします。
それに関わる全ての人が気をつけることが大事ですが、やはり最終的には、記事を書く当人が責任を持って間違いをしないこと、これに尽きるのかもしれません。